あの突き上げる衝撃から始まったサーフィンのような揺れが沢山の悲劇を呼んだ日から26年。
突然奪われた日常。家が真っ二つに割れて片方が崩れて、二階の部屋の鴨居にシャツが掛けられたのが剥き出しに見えてた。
電気もガスも無く凍てつく東灘の避難所。強烈なトイレの臭いや寒さでカチカチのおにぎり。全壊したマンションの住民のミーティングを取材に来たテレビを意識して、「お姉ちゃん、テレビに映るねんけど髪の毛これでええかな?」って聞いてきたかわいいおばちゃん。震災後2週間でまだ現実から乖離した感じがあった。命があってよかったって前向きだった。
ローンを抱えたまま次の住居に住む負担。職場を失った現実。人が亡くなった喪失感。一カ月を過ぎてから現実として認識されて本当のダメージがボディブローのように効力を発揮したように見えた。(あの1月が新築マンション30年ローンの一回目の支払いだった知人、どうしてるだろう。)ひとりひとりが経験した悲痛な体験が語られるようになったのもその頃から。
あの日、いろいろな状況で亡くなった方々を思い、改めてご冥福をお祈り致します。
今もお一人お一人の生き様と死に様とともに生きる人達がいらっしゃり、お一人お一人の生き様があることに、精いっぱい思いを馳せます。大切な人を失なわれた方々や被災され人生が変わった方々。どうかあの経験があったから今があると思えるようになっていらっしゃいますように。
忘れません。
忘れません。