Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

ペットへの責任

ペットを飼って最後まで責任を持つ。ということについて。
 
「最後」まで責任を持つということは、必ずしも「最期」までではないと思う。責任を持つのは、ペットの命と幸せに対してであって、「飼い主が最期まで責任を持って飼った立派な人」になるためではない。「飼う」ということは、大事な命を預かって幸せに育む代償として、大きな喜びを与えられること。
 
命に責任を持つ人を絶やさないこと。
目的はペットの命と幸せを繋ぐこと。
 
犬は人に付く。と聞くけど、飼い主が変わってもあっさり順応する。
猫は家に付く。と言うけど、家が変わっても問題なく適応する。
 
自分が命を預かれなくなったり幸せな生活環境を維持できなくなったら、しっかりとした別の命と幸せの請負人を探す。自分が飼えない人でも誰かのペットの新しい飼い主を捜してあげる。「最後まで」の縛りの意識の窮屈さが、却って多くのペットの行き場が見つかりにくかったり、劣悪な条件下で飼育され続けられる原因かもしれないと思ったりもする。
 
私は、輸送のPTSDで自分の足を骨が見えるまでかじり続けるようになってしまったワンちゃんの話が忘れられない。気が小さいのが解って居たら、他に方法がなかったのか。
 
お散歩もできない状態なのに大型犬を家の中に閉じ込めている。そんな状態でもかわいいから手放せないのは、エゴじゃないのか。
 
最後まで面倒見る、というのも立派な人でありたい、批判されたくない、というエゴが入っていないか。
 
ペットに最後まで責任を持つ、ということの本当の目的。ペットの命と幸せを優先する視点。ちょっと考えてみて欲しい。