Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

周囲に対するレスペクトに対して考えさせてくれた一人は、駅前でいつもお酒を飲んだり寝転がったりしていた汚い服装でヒゲもじゃだったオジさん。ズボンにおしっこの流れた後がそのままになっていたりして、てっきりホームレスさんだと思ってた。
いつも駅前のベンチを陣取ってるし、通りがかって目が合うから挨拶してた。そして話をするようになって解ったのは、オジさんは元トヨタのエンジニアで、箕面駅からほど近い所に80坪の家を持つ年金暮らしの人だと言うこと。子供さんがお二人いらっしゃって、お孫さんも4人のおじいちゃんだということ。びっくりした。
お子さんがまだ小学生だったときご妻君が亡くなって、当時はシングルファーザーへの支援は全くなくて、やむを得ず会社を辞めて育児に専念し、それからはいろいろな仕事を転々としてきたって。「ホンマ、誰も助けてくれへんかったで。アホばっかりや。」って。そうだったんだ。
てっきりホームレスさんだと思いましたよ。ただ、朝からお酒を飲むおカネがどこから出てるんやろうって思ってました。って言ったら、「人を見かけで判断したらアカン。」いやいや、でもそれだけ汚れた服で長髪ヒゲもじゃでいつも駅前に座ったり寝たりはったらそう思いますよ。そう思わせる方もアカンのじゃないですか?って言っても、「いや、アカンことはアカン。人は見かけやない。そんなん思うヤツはアホや。」そうかな?そんな見かけは、内側の表現なんじゃないかな?やたらと人の事をバカだアホだと言うオジさんの、周囲へのレスペクト欠如が表れてるんじゃないのかな?(しんどい経験をして来られたからそうなったにしても。行き交う人みんなが敵じゃない。)
人は最初は目に見える行動や見かけしか情報がない。アル中のホームレスだと思ってたオジさんのしんどかった経験やバックグラウンドは、挨拶して何度も話をしたから解ったこと。オジさんの生活への心配は無くなったけど、だからと言って駅前で飲んだくれて寝転がってるオジさんの存在には複雑な思いだった。
我が町箕面の正に玄関口で、一見さんの観光客や来訪者がまず目にするところに、オジさんとオジさんのアル中友さんが常に居て、通りすがる人を睨んでた。オジさん達が居心地が良すぎてはいけないと、駅前のベンチは雨も太陽光も避けられない、おかしな造りにされてしまった。
駅前の立ち飲み屋さんが無くなってから、縄張りを変えたのか見かけなくなったオジさん。(アル中重症で駅前ベンチで嘔吐の中で寝ていたお友達は亡くなったらしい。何の支援もなかったのか?)お酒のアテはコンビニで栄養バランス考えて野菜も食べてるとのことだった。どうしてはるんかしら?
周りにレスペクトを持って対応されないと思う時。自分がレスペクトを持った言動ができているか。反省しなきゃって思う。