Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

Bike nuts legends

▶ The “Bike Nuts” Who Rode Out into −30 Cold—and My Encounters with Three Legends

There are three legendary figures whose names are indispensable when telling the history of mountain biking: Gary Fisher, Gary Klein, and Keith Bontrager.

When I joined the bicycle industry as a TREK marketing representative, I knew absolutely nothing about bicycles. Yet through trade shows and visits to TREK’s U.S. headquarters, I had unforgettable encounters with these remarkable people—experiences that remain precious “gems” in my life.

1. Gary Fisher: The Man I Talked With Before Knowing He Was a Legend

This happened at a trade show in Germany, shortly after I joined the company. On the terrace of a lakeside hotel where dinner was being held, I found myself deep in conversation with one of the male participants. We talked about tourist destinations in Germany and the turning points that change a person’s life.

After talking for quite some time, I suddenly realized that we had never introduced ourselves.

“By the way, my name is Tama,” I said.

He smiled, held out his hand, and replied,

“I’m Gary Fisher.”

Until that moment, I had thought the father of mountain biking was simply a friendly, easy-to-talk-to older gentleman. I was so shocked that I practically dropped to my knees in front of him.

Even today, he continues to share his riding and the achievements of his son, who is active as a professional athlete, on social media. His passion for riding is clearly still very much alive.

2. Gary Klein: The Man Who Gave Me an Answer About Turning Love and Passion into Something Real

Another unforgettable moment took place at the same trade show.

I was standing there, captivated by the almost hypnotic beauty of a Klein bicycle hanging on the wall. Eventually, I sat down on the floor and murmured almost to myself,

“How wonderful it would be if you could create something like this—something that gives shape to what you truly love and feel passionate about…”

Then an “older gentleman” sitting in the corner of the room quietly spoke up.

“That is why I design my bike. That’s what I do.”

That man was Gary Klein himself.

I had been working in the same room with him without even knowing who he was, and suddenly I found myself face-to-face with the very heart of his philosophy.

Later, after working desperately as part of the staff, jet lag and exhaustion finally got the better of me. I collapsed onto the floor, arms and legs spread out, looked up at him, and said,

“I am ragged. Oriental rag.”

It was my awkward attempt to say, “I’m completely worn out—like an old Oriental rug!”

The highly intellectual Mr. Klein responded with a strange little laugh—“Hee, hee, hee!”—and said,

“Funny! You are a gem!”

Mr. Klein has since retired, but the passion he gave form to is still loved around the world through his vintage bicycles. His words that day remain one of the true gems of my life.

3. Keith Bontrager—and His Joke About a Power-Generating Exercise Machine

One winter, when I visited TREK’s headquarters and factory in Wisconsin, I also had the opportunity to meet engineer Keith Bontrager.

Looking at an indoor pedaling machine, I made a suggestion:

“Why not attach a generator to it? Then perhaps the electricity you produce while exercising could power a television or even a microwave. Wouldn’t that make people work harder during their workouts?”

He looked completely serious and replied,

“Actually, I’m working on that right now. Maybe we’ll be able to launch it by next summer.”

“Really?” I asked, completely surprised.

He gave me just one word:

“Joke!”

Keith is known for his famous philosophy: “Strong, light, cheap—pick two.” He may have had a reputation for being serious and uncompromising, but he also had a wonderful mischievous sense of humor.

Conclusion: TREK Was a Brand with a Soul, Built by People Who Were Crazy About Bikes

When I first joined TREK, my impression of the brand was that it was solid and dependable, but somehow lacked a visible personality—a human face.

That perception was completely overturned by something I witnessed one day during a lunch break at the company’s headquarters and factory in Wisconsin.

It was winter, and the temperature was −20°C. The cold was so intense it hurt your face. Yet I watched employees finish lunch in barely five minutes and then, about twenty of them at once, head straight outside for a lunch ride.

I simply could not believe what I was seeing.

“If these are the bike nuts making the products,” I thought, “then this company can’t be bad at all.”

Later, I learned that the lunch ride was a TREK tradition dating back to the company’s earliest days. Regardless of rank or position, people would line up and ride together, connected by one thing alone: their love of bicycles. It was—and remains—a tradition practiced throughout the year.

The legends and the people on the factory floor had something in common: they were all passionate human beings who truly loved bicycles.

The time I spent with them became, for me, one of the great “gems” of my life.

 

3人のバイクレジェンドとの出会い

マイナス20度の極寒に飛び出す「バイクバカ」たちと、3人のレジェンドとの出会い
マウンテンバイク(MTB)の歴史を語る上で欠かせない、3人のレジェンドをご存知でしょうか?
ゲーリー・フィッシャー、ゲーリー・クライン、そしてキース・ボントレガー。
かつてTREKのマーケティング担当として、自転車の知識ゼロで業界に飛び込んだ私が、展示会やアメリカ本社で体験した、彼らとの忘れられない「Gem(宝物)」のようなエピソードを綴ります。
1. 創設者とは知らずに語り合った、ゲーリー・フィッシャー
入社直後のドイツの展示会でのこと。私は一人の男性参加者と、湖に面したディナー会場のホテルのテラスで、ドイツの観光地や人生の転機について楽しく話し込んでいました。
ひとしきり盛り上がった後、まだ自己紹介をしていなかったことに気づき、「ところで、私はTamaといいます」と挨拶しました。すると彼はにっこり笑って握手の手を差し出しながらこう言いました。
「私はゲーリー・フィッシャーです」
MTBの生みの親を「ただの話しやすいおじさん」だと思っていた私は、腰を抜かすほど驚いて、思わずひれ伏す動作をしてしまいました。
彼は現在もSNSで自身のライディングや、プロ選手として活躍する息子さんの姿を発信するなど、現役の情熱を持ち続けています。
2. 「愛と情熱を形にする」その答えをくれた、ゲーリー・クライン
同じ展示会場でのもう一つの出来事です。壁に吊るされたクラインバイクの、吸い込まれるような美しさに私は感嘆していました。思わず床に座り込み、独り言のように呟きました。
「こんなふうに、自分が愛と情熱を持てるものを形にできたら、どんなに幸せなことでしょうね……」
すると、部屋の隅にいた「おじさん」が静かに口を開きました。
「That is why I design my bike. That's what I do.(だから私はバイクをデザインしているんだ。それが私の仕事だよ)」
その人こそ、ゲーリー・クライン氏本人でした。彼が何者かも知らずに同じ部屋で仕事をしていた私は、彼の哲学の根源にいきなり触れたのです。
その後、スタッフとして必死に働いていた私は、時差ボケと疲労でついに力尽き、両手足を広げて床に寝そべってしまいました。そして彼を見上げて、こんなジョークを飛ばしたのです。
「I am ragged. Oriental rag.(私はもうボロ布です。東洋の絨毯(ボロ布)みたいでしょう?)」
すると、知的なクライン氏は「ヒッヒッヒ!」とヘンな笑い声を上げ、こう言ってくれました。
「Funny, You are a gem!(面白い、君は最高の宝物だ!)」
クライン氏は現在引退されていますが、彼が形にした「情熱」は今もヴィンテージバイクとして世界中で愛されています。あの時の言葉は、私にとってまさに一生の宝物です。
3. 「発電マシン」のジョークを返した、キース・ボントレガー
ウィスコンシン州のTREK本社工場を訪れた冬、エンジニアのキース・ボントレガー氏にもお会いしました。
寒冷地ゆえの室内ペダリングマシンを見て、私は「これに発電装置を付けたらいいのに。そしたら運動した電力でしかテレビが見れるとか、電子レンジが使えるとかという仕組みにして、ワークアウトに力が入るのでは?」と提案しました。すると彼は真顔で答えました。
「実は今、それに取り組んでいるんだ。来年の夏には発売できるかもしれないよ」
「えっ、本当ですか?」と驚く私に、彼は一言。
「Joke!(冗談だよ!)」
「丈夫、軽い、安い。選べるのは2つだけだ」という名言で知られるストイックな彼ですが、実は茶目っ気たっぷりの人物でした。
結論:TREKは「バイクバカ」たちが作る、人格のあるブランドだった
入社当初、私はTREKというブランドに対して「堅実で頼りになるが、どこか人格(顔)が見えないブランド」という印象を持っていました。
しかし、その認識を根底から覆したのは、本社工場でのある昼休みの光景でした。
マイナス20度の凍てつくウィスコンシンの冬。従業員たちが昼休みのわずか5分ほどでランチを済ませ、20人ほどで一斉にランチライドへ飛び出していく姿を目撃したのです。顔が痛いほどの寒さの中でした。
「こんなバイクバカたちが作っているのなら、捨てたものじゃない。」

後から解ったのは、これはTREK創業時からの伝統のランチライドでした。役職の上下に関わらず連なり、バイクへのラブだけで繋がって走り出す、1年中実践されるTREKの伝統でした。

レジェンドたちも、現場のスタッフも、みんな自転車を愛してやまない「熱い人間」たち。そんな彼らと過ごした時間は、私にとってまさに人生の「Gem(宝物)」になりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

マイナス20度の極寒に飛び出す「バイクバカ」たちと、3人のレジェンドとの出会い
マウンテンバイク(MTB)の歴史を語る上で欠かせない、3人のレジェンドをご存知でしょうか?
ゲーリー・フィッシャー、ゲーリー・クライン、そしてキース・ボントレガー。
かつてTREKのマーケティング担当として、自転車の知識ゼロで業界に飛び込んだ私が、展示会やアメリカ本社で体験した、彼らとの忘れられない「Gem(宝物)」のようなエピソードを綴ります。
1. 創設者とは知らずに語り合った、ゲーリー・フィッシャー
入社直後のドイツの展示会でのこと。私は一人の男性参加者と、湖に面したディナー会場のホテルのテラスで、ドイツの観光地や人生の転機について楽しく話し込んでいました。
ひとしきり盛り上がった後、まだ自己紹介をしていなかったことに気づき、「ところで、私はTamaといいます」と挨拶しました。すると彼はにっこり笑ってこう言いました。
「私はゲーリー・フィッシャーです」
MTBの生みの親を「ただの話しやすいおじさん」だと思っていた私は、腰を抜かすほど驚いて、思わずひれ伏す動作をしてしまいました。
彼は現在もSNSで自身のライディングや、プロ選手として活躍する息子さんの姿を発信するなど、現役の情熱を持ち続けています。
2. 「愛と情熱を形にする」その答えをくれた、ゲーリー・クライン
同じ展示会場でのもう一つの出来事です。壁に吊るされたクラインバイクの、吸い込まれるような美しさに私は感嘆していました。思わず床に座り込み、独り言のように呟きました。
「こんなふうに、自分が愛と情熱を持てるものを形にできたら、どんなに幸せなことでしょうね……」
すると、部屋の隅にいた「おじさん」が静かに口を開きました。
「That is why I design my bike. That's what I do.(だから私はバイクをデザインしているんだ。それが私の仕事だよ)」
その人こそ、ゲーリー・クライン氏本人でした。彼が何者かも知らずに同じ部屋で仕事をしていた私は、彼の哲学の根源にいきなり触れたのです。
その後、スタッフとして必死に働いていた私は、時差ボケと疲労でついに力尽き、両手足を広げて床に寝そべってしまいました。そして彼を見上げて、こんなジョークを飛ばしたのです。
「I am ragged. Oriental rag.(私はもうボロ布です。東洋の絨毯(ボロ布)みたいでしょう?)」
すると、知的なクライン氏は「ヒッヒッヒ!」とヘンな笑い声を上げ、こう言ってくれました。
「Funny, You are a gem!(面白い、君は最高の宝物だ!)」
クライン氏は現在引退されていますが、彼が形にした「情熱」は今もヴィンテージバイクとして世界中で愛されています。あの時の言葉は、私にとってまさに一生の宝物です。
3. 「発電マシン」のジョークを返した、キース・ボントレガー
ウィスコンシン州のTREK本社工場を訪れた冬、エンジニアのキース・ボントレガー氏にもお会いしました。
寒冷地ゆえの室内ペダリングマシンを見て、私は「これに発電装置を付けたらいいのに。そしたら運動した電力でしかテレビが見れるとか、電子レンジが使えるとかという仕組みにして、ワークアウトに力が入るのでは?」と提案しました。すると彼は真顔で答えました。
「実は今、それに取り組んでいるんだ。来年の夏には発売できるかもしれないよ」
「えっ、本当ですか?」と驚く私に、彼は一言。
「Joke!(冗談だよ!)」
「丈夫、軽い、安い。選べるのは2つだけだ」という名言で知られるストイックな彼ですが、実は茶目っ気たっぷりの人物でした。
結論:TREKは「バイクバカ」たちが作る、人格のあるブランドだった
入社当初、私はTREKというブランドに対して「堅実で頼りになるが、どこか人格(顔)が見えないブランド」という印象を持っていました。
しかし、その認識を根底から覆したのは、本社工場でのある昼休みの光景でした。
マイナス20度の凍てつくウィスコンシンの冬。従業員たちが昼休みのわずか5分ほどでランチを準備を済ませ、20人ほどで一斉にランチライドへ飛び出していく姿を目撃したのです。顔が凍るような寒さの中でした。
「こんなバイクバカたちが作っているのなら、このブランドは本物だ」
伝説のレジェンドたちも、現場のスタッフも、みんな自転車を愛してやまない「熱い人間」たち。そんな彼らと過ごした時間は、私にとってまさに人生の「Gem(宝物)」です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

人の命は

人の命は平等に尊い。
でも同じ命でもその人の生き様で、残った者に与えるインパクトが違う。多くの人と関わり多くの感動を与えた人の死には、多くの人が多くの悲しみを感じる。平等に尊い命だけど、喪失感は平等ではない。
悲しみが多い人生はいい出会いも多くあった豊かな人生かも知れない。悲しいけど幸せかもしれないって、思ってる。

Angela Micheal Hudson さんが亡くなった

2018年7月25日 
プライバシー設定: 公開
Angela Micheal Hudson さんが亡くなった。
アブダビでCLUB JAPAN UAEの算盤プロジェクトに男子二人連れて来てた、3人の子供を持つアメリカのブロンクス出身シングルマザー。小学校の先生で日中は居ないから、監督者の居ない状態での子供達のホームスクーリングがタイヘンだって言ってた。(アブダビではUAE人は博士号まででも無償だけど、外国人の子弟は私学に通うしかない。私学は日本のインターナショナルスクール同等の学費。)
子供達が剣道の見学に日本人学校に行った時には、よぼよぼのおじいちゃんが子供達の自習のヘルプにいらっしゃってて、時間のない彼女の代わりに私がアブダビ観光に連れて行ってあげようと体育館を出ようとしたら、ふらついて転んで頭を打って、救急車で運ばれちゃって大変なことになっちゃったっけ。
歩くポジティブと呼びたいくらいの人だった。3年弱の乳癌との戦いを、フェイスブックでレポートし続けてくれてた。最後のポストは22日。死神が自分の傍に居たのが見えたけど、部屋を間違えてるって追い出したって書いてあったのに。
彼女を知らない人には関係ないかもしれないケド。アメリカからアブダビに渡って3人の子供の子育てをしながら、病と闘いながら、子供達に勉強だけでなく本当の強さを教えていたシングルマザーが居たこと、書き残しておきたかった。
悪い事を見ずにいい所だけ見るのをポジティブと呼ぶ人が多い中で、問題を見据えた上で決して諦めずに淡々と戦う、本当の意味でのポジティブな強さを目撃せてもらった。
信仰心の篤い彼女は、間違いなく神の元から子供達を見守りながら、痛みも苦しみもない永遠の天国暮らしに慣れようとしてるところだと思う。早く慣れて、永遠に安楽で平和な暮らしを、享受してね。

亡くなった後に彼女の部屋を訪れた人によると、彼女の部屋の壁には、ポストイットでお祈りに加えるいろんな人たちの名前と神様にお願いする解決されるべき問題がびっしり貼ってあったって。写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 


今日のウンチク

ああ、またおかしなウンチクネタの学びを得てしまった。
大量の乾燥ひよこ豆を水に浸して2日間、忘れてました。そしたら、発酵したのか腐ったのか、アンモニア臭のようなウンチのような臭いになってしまいました。茹でこぼしてもダメ。牛乳入れて煮てもダメ。アンモニア中和にはクエン酸と読んで、代わりにアップルビネガーで茹でてもダメ。こみ上げる。吐きそう💦
英語でググったら、「それは自然で、自分は犬のウンチ臭ならそのまま料理して食べるけど、発酵した臭いの場合は捨てる。」と書いた投稿があって、え~?そうなんですか~??逆じゃなくて~???そういえば確かにただのウンチじゃなくて犬のウンチの臭い。(私はおサルの生息地在住のお陰でサルのウンチの臭いも識別可能。)
じゃ、ニンニクたくさん使ってチリ入れて、ちょっと酸っぱいのはトマトで煮てごまかして、ってチリビーンズ風に煮込んでたんだけど、臭いがやっぱり気持ち悪くて。口に入れて噛むととワンチ爆弾がさく裂。悪あがきして臭い消しにスパイスを入れて中東寄りの香りにしようとクミンを入れたら、なんと臭いが一転、紛れもない腋臭の臭いになっちゃった。🙀 湧いてくるのは食欲じゃなくて吐き気ばかり。んぐ
ピンと閃いて、腋臭臭に近いパルメジャンチーズをどばっと掛けて供してみたら。美味しいとバクバク食べる家族が居てアンビリーバボー。私は見てるだけで気持ち悪くて、おそうめんに逃避。
 
犬のウンチの臭いを自作するなら、ひよこ豆常温戻し2日間以上。
腋臭の臭いを作るなら、それにニンニクとクミン添加。
 
ウソだと思うなら、やってみて下さい。(`・ω・´)ゞ

いいところは残そう。変わるべきは変わろう。

より正確で厳密で繊細なことが正義だと思いがちな日本の人の幸福感が低いのは当たり前カモしれないな。正確で厳密で繊細ではない自分も他人もあらゆるものも「ダメ」だと否定してしまうから。
正確で綿密で繊細でないとダメという判断には、自分にも他人にも寛容さで受容するラブがなくて、否定する側もされる側もラブなしでは幸せにならない。
その上に、より正確で厳密で繊細なことがその場の目的達成に寄与しないように思えたとしても、年齢、性別、経験などの絶対的ヒエラルキーで服従せざるを得ない理不尽な苦しさが、日本にはある。これでは、幸福感は生まれにくいどころか、パワハラ、モラハラのハラスメントが出来上がる。この中に組み込まれる異文化外国人市民は、日本人よりもっとしんどいなぁ。
日本人女性と西洋人男性の国際結婚の数の方が、日本人男性と西洋人女性の数より圧倒的に多いのは。女性にとってより寛容な文化背景の心地よさあるからかもしれない。
アラブの国に移住して心底より解ったのは。より寛容な方に適応する方が、より非寛容な方に適応するよりずっとずっと幸福感が得られるということ。
ダイバーシティだとかグローバリズムだとか言うなら。幸福感も生産性も低い日本に来てくれた異文化の人たちを、受け入れ側優位ヒエラルキーで同化させて、意味があるのか。のびのびと違いを表現してもらうことで、一人一人が考えるタネをもらって変わっていくべきなんじゃないのかなぁ。違いから学ぶ。違うから学び合える。そういう姿勢が外国人市民にとっても、日本人市民同士にとっても、どんな違いを持つ誰にとっても、本当のエンパワメントになるんだと思うなぁ。