Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

中村医師

最近、ケーブルテレビで頻繁に中村医師のドキュメンタリーが再放送されてる。
私がどうして彼が殺されたのかをアフガニスタンの人に聞いたときに言われたことは。
周辺にはアフガニスタンが繁栄することを面白く思っていない国があり、それに寄与して権力や能力を行使する人たちに対して常に暗殺者が送り込まれているとのこと。また、ダムを建設の案も中村医師から上がっていて、自国の上流で水を制御されることに危機感を持つのも当然とのこと。
中村医師のような無私な人でも、そういった難しい支援の判断の狭間に落ち込むことがあるんだという、外部の人間が関与することの難しさ。😔

中村医師

最近、ケーブルテレビで頻繁に中村医師のドキュメンタリーが再放送されてる。
私がどうして彼が殺されたのかをアフガニスタンの人に聞いたときに言われたことは。
周辺にはアフガニスタンが繁栄することを面白く思っていない国があり、それに寄与して権力や能力を行使する人たちに対して常に暗殺者が送り込まれているとのこと。また、ダムを建設の案も中村医師から上がっていて、自国の上流で水を制御されることに危機感を持つのも当然とのこと。
中村医師のような無私な人でも、そういった難しい支援の判断の狭間に落ち込むことがあるんだという、外部の人間が関与することの難しさ。😔

みんな障碍者になる

障害者って。お年寄りはみんな何らかの障害者。精神だったり身体だったり。
若い人もみんな必ず公平に年を取って。精神的にも身体的にも程度問題で障害者になる。
だから、障害がある人が住みやすい街の受益者は、年を取る人全員。即ちあなたもあなたの家族も含む全ての人。
ってこと。気が付いて欲しいね。😊

みんな障碍者になる

障害者って。お年寄りはみんな何らかの障害者。精神だったり身体だったり。
若い人もみんな必ず公平に年を取って。精神的にも身体的にも程度問題で障害者になる。
だから、障害がある人が住みやすい街の受益者は、年を取る人全員。即ちあなたもあなたの家族も含む全ての人。
ってこと。気が付いて欲しいね。😊

2014年7月7日 日記 戦闘員との出会い

2014年7月7日
 
 ドーハ経由で関空に向かうアブダビからの帰国便で隣の席だったのは、30歳超に見えるおっきな黒人男性。ハロー!と言って、荷物を棚に入れようとしたら、チビすぎてうまく入らない。立ち上がって手伝ってくれた。ありがとう!って座って話し始めた。

どこから?と聞くと、「難しい質問だ。」と言う。湾岸の方?と聞くと、首を振って、「アトランタジョージア。」だと。おお、アメリカ人。大阪に行くの?観光?と聞くと、「沖縄まで。」。あ、海兵隊?と聞くと、「ワイフが沖縄にいる。」ああ、日本人の奥さんいるんだ。と思って沖縄の郷土料理やらダイビングの話やらしても何にも知らないなあと思いながら、私の住むアブダビの話やら、ラクダのことやら、アブダビで出会うパキスタンペシャワールやワジリスタンやスウェットバレー出身のタクシーの運転手が話す故郷の美しさとアメリカ軍の爆撃の話、テロと全く関係ない村が攻撃され、子供を殺された親達がアメリカと戦おうとしたらテロリストと呼ばれ更に攻撃され、更に多くの人と子供が殺され、街が壊滅して避難し、僕たちはHomeも故郷も失った、僕たちには殺されても戦う権利もない、僕たちには声がない。でも今は新しい場所で落ち着いてゆったりと暮らしていると話してくれたこと。今だに亡くした子供を思い泣き暮らす母親のこと、アメリカのアフガン侵攻に怒って、ウズベキスタンからアフガンに入ろうとしたけど途中で奥さんと出会って戦わずに帰って来て結婚したビッグママの次男の笑い話しなんかしながら、奥さん、沖縄の人なんですよね?と確認すると、「嘉手納基地で働いてるジャマイカ人。」

なんだ。やっぱり奥さんは軍関係者。あなたも嘉手納基地で仕事?と聞くと、「数ヶ月から半年単位で海外を移動して、たまに沖縄の家族の元に帰る。」今まで行った国は?「中国、イラン、パキスタン、クエート、オーストラリア、アフガニスタン、そしてジャマイカ、、、」え?パキスタンアフガニスタン?クエート?アフガニスタンでナニしてたの?と聞くと笑って答えず。話題を変えて、体格いいけどスポーツしてる?って聞くと、肩に大きな傷を負ってからはワークアウトするだけって。どこでけがしたの?って聞いたらまた笑って答えなかった。戦闘員だ。そんな気がしてたから、紛争地帯からアブダビに働きに来ている人達の故郷の暮らしぶりやエピソードを、面白おかしく話した。アメリカの教育の不公平さ、人種差別の問題、私達がアメリカ8000キロ車の旅をした時に痛感した、アメリカ人と銃の切り離せない関係、いろいろ話しながらいろいろ教えてもらった。

飛行機が関西空港に到着して、おかげでフライトがあっという間だったよ〜、って言ったら、「僕にとっても良かった。」って。で、荷物がベルトコンベアで回ってくるのを待ってたら、またキャリーオンサイズのカバン持って現れて、私の横にまっすぐな姿勢で立ってる。あれ?沖縄へのフライトは?って聞くと、僕の荷物はこれだけだし二時間待ちだから、ってじっと立ってる。三ヶ月家を離れて荷物ちょっぴりですごいね、仕事柄おみやげもないよね、でも、なんでここで立ってるワケ?って思ってたら、私が自分のスーツケース見つけて手をかけようとした瞬間に、サッと降ろしてくれた。「荷物はまだある?」と聞くから、ううん、これだけ。ありがとう。ってお礼を言ったら、また静かな声で、「話しができてよかった。」って握手して立ち去った。

彼が言うように、教育が高価過ぎて兵隊さんになったかもしれない本人に、攻撃してる相手の人間的なエピソードは聞きたくないだろうし、残酷だと思いながら、話した。知っといて欲しかったから。

受け止めてくれたのかもしれない。彼の夢の、貧富の差が少なくてみんなが同じように働きながら音楽を楽しみながら暮らしている奥さんの故郷ジャマイカへの移住計画、前倒しするかもしれないなって思った。