Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

自分が幸せじゃないと???

自分がまず幸せじゃないと人を幸せにできないって考え方があるケド。
自分の価値観の中に他の人の幸せがあれば、自分が幸せでなくても誰か幸せな人を見たり一緒に居たり、誰かにちょっと親切にして幸せにしてあげることで自分が幸せになれるんじゃないかなぁ。
幸せじゃない自分は誰も幸せにできないって思いこんで欲しくないなぁ。幸せじゃないからこそ、誰かを幸せにすることで自分もちょっと幸せになって欲しいんだなぁ。
人は、ニーズや価値観が満たされることで幸せを感じられると思う。どんな仕事(対価労働であろうがなかろうが)も誰かのニーズを満たしているののだから、人を幸せにしているんだとも思うから、自分が幸せでないと誰も幸せにできないって論調には矛盾も感じるんだな。
ご自身の価値観が満たされて幸せで、誰かを幸せにすることでも、幸せを感じることができる良き日に、なりますように。Have a nice day😘

二度目の誕生日

今日は私の第二の誕生日。
今も将来も決して変わらない、繰り返し伝えたい私の気持ちと皆さんへの大切なメッセージ。(毎年書き足して長くなるばかりで恐縮です。)
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今日は6月28日。11年前の私が一度死んで生まれ変わった、第二の誕生日。
緑滴る大阪府北部の街から砂漠の国アラブ首長国連邦アブダビに引っ越して3年目。11年前の6月28日。いろんな事がアラビアンにユルいアブダビで、いい加減に取り付けられていた家の重厚な鉄の門扉が私に倒れ掛かって来ました。
大きな音がして夫とメイドさんが外に出ると、私は肩から下を鉄の塊の門扉の下敷きになり意識を失っていたそうです。鉄の塊の重い門扉をどかし、二人で私を車に乗せ、すぐに近所のAl Rahba Hospitalに搬送してくれたそうです。ですがそこではとても手に負えないと言われ、アブダビ市内のSheikh Kharifa Hospitalへ。(全く記憶がありません。)
最初に意識が戻ったのは、割れた顎を金属で繫ぐ手術前。目が覚めたらいきなり白人の医師が同意書にサインしろと話かけていました。その後またすぐに意識を失い、記憶が途切れています。
その後数か月の間、頭から縫い糸が飛び出て顔はどす黒いうっ血で覆われた上に全く動かない、表情が全く変わらなくて微笑めない、割れた顎を金属で繋ぎ、バラけた歯並びを矯正枠で固定したお化けでした。瞬きをできない目も閉じられない口も、夜はテープで閉じて寝ていました。夜になると自分の将来へのとてつもない恐怖感に襲われ、どうしても眠れない日々が続きました。頭蓋底骨横断骨折と顎の分断で99%の人が亡くなっていると言われたレベルのケガを負いながら生き長らえ、奇跡だと言われましたが、世にも珍しい両側顔面神経麻痺、左目失明、左耳聴力損失という後遺症は残りました。(最近、日本で手術をして50%くらい回復したと思っていた左耳が聞こえなくなっているのに気が付きました。)
ご近所の元遊牧民のモスリムママに言われました。「Tama 、見えないけど人間の額にはアラーが決めた寿命が書いてある。Tamaはあの日死ぬはずだった。でもあなたがこれからも人を助けようとしている人間だって解った神様が、命をもう一度戻してくださった。まだ仕事が残っているということよ。だから前の身体がどうだったって関係ない。この状態で産まれたんだから。ここから成長したらいい。神様が守ってくれてるから。」と言われ、信仰心がない私ですがとても勇気づけられました。
この事故は私の身体的能力を一部奪いましたが、大きな気づきを与えてくれました。結果、事故前より幸せな人間になれたと感じています。
当時は小さなお店を始めようとベルギーに修行に行き、店舗契約をし、準備に忙しい最中でしたが、事業は諦めざるを得ませんでした。それでもこの気持ちは今も全く変わっていません。以下は、事故から5か月の大晦日に、Twitterとメールで発信したものです。今も将来も決して変わらない、私の気持ちと皆さんへのメッセージです。
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今年はとてつもなく大きく人生が変わった年。半年前の事故で失った身体機能と事故を通して得た一生失わない気付き。事故前の自分に戻る事はできないだろうし戻る必要もない。命があることはもう当り前の事ではない。
死ぬ筈だったのに生かされた、2度目の命を生きる私の初めての年越しがやって来る。困難にある時、人を助けられるのは人しかいない。一番助けが必要な人間の部分が「心」だから。人の心を本当に助けられるのは人しかいない。
心が死ななければ人は時間を積み上げて行ける。そしていつか道が見え命を繋いで行ける。私はそれを事故からそして私の困難を支えてくれた友人と家族から学んだ。
人に一番必要な強さは困難に有る時、自分の弱さを認め「助けて。」って言える強さだと思う。完璧な人間なんていない。誰かに助けられそして次は誰かを助けてあげて。助けてって言えない人がいたら個人レベル、行政レベルのお節介の方法考えてあげて。私がしてもらった様に命を繋いであげて。
人と関わらないと悲しい思いも辛い思いも少なくて済む。でも人と関わらないと心が温かくなる幸せも少なくなっちゃう。どっちが幸せかは人によって「判断」は違うかも知れない。でも「事実」は関わり合う方が幸せだって事、確信してる。「悲しみや困難は半分に。幸せは倍に。」
ハンディある人もない人も人と関わる事を恐れないで。どんなマイナスな資質も確かにあなたの一部。でもそれはほんの一部でありあなたという宇宙の全てではない。一部を否定されてもあなたの全人格を否定されたわけではない。また、あなたの一部を否定したという部分だけで否定した人を全否定することもない。
今日より明日はもう少し幸せに。明日よりも明後日はもっと幸せに。小さくても幸せを積み上げて、大きな幸せが皆さんにありますように。砂漠の地アブダビで心からお祈りしています。
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「見てわかる障がいがあるのに、のびのびと幸せである事」で、いろんな人に勇気を分けてあげられるかもしれないと思っていました。でも機能は回復しないままそれなりに定着しており、以前の私の顔を御存じない方は元々こんな顔のおばさんだと思われるようです。私が常に感じているしゃべり難さや顔の強張りや限られた視野や聴力は外からは解らず、ちょっぴり残念な気持ちではあります。それでも事故から得られた気づきの大きさに心から感謝をしています。
幸せな人と一緒に居られることは幸せです。幸せな人が多い社会はいい社会であり、いい社会に住む自分も幸せです。究極の自己利益誘導として、自分の能力と時間が許す限り、誰かが少しでも幸せになるお手伝いをしたい。恥ずかしいのは自分のモラルと価値観に反した事だけ。人も建築物もアラビアンに緩いアブダビと差し伸べられた手の温かさのお蔭で、楽で幸せなおばさんに生まれ変わりました。
皆さん、ご存知のような私ですが、日々いろいろな方から学ばせて頂き、皆さんのお陰で楽しく生きています。
今後ともどうぞよろしくお願いします。m(_ _)m
(気持ちは全くブレませんが、顔と体重は変りました。😅

アウトドアの画像のようです記念碑、アウトドアの画像のようです

海に飛び込ませる動機付け

各国の人に海に飛び込ませる動機付け
 
アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローになれますよ」
ロシア人に対して・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」
イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないで下さい」
イギリス人に対して・・・「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」
ドイツ人に対して・・・「規則ですので海に飛び込んでください」
中国人に対して・・・「おいしい食材(魚)が泳いでますよ」
日本人に対して・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」
韓国人に対して・・・「日本人はもう飛び込みましたよ」
北朝鮮人に対して・・・ 「今が亡命のチャンスです」
関西人に対して・・・「阪神が優勝しましたよ」
関西人、道頓堀でないと飛び込みませんっ。

29年6月24日 日記

 


ちょっとしたディスカッションがググッと深まる利発な子。お父さんの仕事で世界中移住して日本と韓国にも住んで米国のダートマスで主に日本と韓国と中国の歴史を学んだって。特に人間レベル、個人レベルの感情的な歴史を研究したんだって、全く話し足りなかった。
 
 
 
利発なダートマス豪州男子は今朝韓国に向けて旅立った。
その前に聞いた。
韓国にも日本にもあちこちの国にも住んで。韓国と中国と日本の人々の感情的歴史の推移を研究して。どうすれば3国間の関係が良くなると思う?って。
それはとても難しいって。理由はどこででも同じで、政治が民心に宿るヘイトを利用するからだって。
彼が日本から韓国に引っ越した時、小学生の子達でさえ日本が大嫌いだと言ってびっくりしたって。何が主な理由でそう思うんだろうって聞いたら、学校で教えられている内容がヘイトそのものだって。なんてこった・・・😰 
何をどうすれば改善されるんだろうって、戦後補償とかあれもこれもって言ったら、「戦争は世界中でいつの時代にも起こっていて、どこまでいつまで蒸し返すかって、難しい問題。保障したら良くなるというものでもないと思う。」って。う~んう~ん。
今日から韓国人家庭に3泊4日する彼に、日本の政治は私達の韓国に対する意思を代表していないし、韓国と韓国の人達に対するレスペクトの方が、パンピーの中ではデフォルトなんだって伝えといてねって。
ディスコでは私と一緒に休まず踊り続けて、山も自然も堪能して。「なんか、離れがたい気持ちで一杯です。」って言いながら旅立っちゃった。
息子も欲しかったカモ。あんな子なら。

公共交通機関と公立学校は社会の縮図

日本の窮屈さ。同調圧力
人権侵害してなかったら、何しててももうちょっと許してよ。
 
バスや電車では、携帯電話はマナーモードにしてベビーカーや車椅子は「すみませんすみません」モードになる。どうして?
 
いろんな社会を構成する人が空間と時間を共有する公共交通機関。誰もが利用する権利がある。でも、最も同調圧力を持ち、差別意識を産む場所にもなっていないか?バスや電車がインクルーシブな場所になったら、社会がインクルーシブに変らないか?
 
インクルーシブの実現には、ハード(設備)とソフト(ココロ)の整備が必要。どんな身体的機能の違いがある人も当たり前に使えて、どんな行動様式の人も当たり前に一緒にいる場所。(それが嫌なら自家用車や自家用ジェットで移動が妥当)赤ちゃんの泣き声や精神的ハンディのある人のひとり言やティーンエイジャ達の大笑いの声やおばちゃんの世間話の声やよっぱらったおっちゃんの喚き声や、大きなスーツケースの旅行者や車椅子やベビーカーやじじばばの杖や。公共交通機関は社会の構成員の全ての人が使う。状況的に強制的にインクルーシブな場所。だけど、ココロがインクルーシブじゃない。
 
みんながし~んとしてるんじゃなくて、誰でもが気軽に会話を始められるような場所になったらステキだな。言葉を交わすと情が通う。最高にインクルーシブな場所に変わると思うな。電車やバスでコミュニケーションが産まれれば、日本は案外アッと言う間にインクルーシブな社会に変るかも知れないな。
 
日本もアブダビみたいに誰とでも気軽に挨拶や会話ができて、人の垣根が低かったらいいのに。私は日本でもアブダビでも垣根ナイですけど。私みたいなおばさんやおじさんが、バスや電車でコミュニケーションの火付け役になっていけないかな?

公共交通機関と公立学校は社会の縮図。
この二つが変われば、社会が変わると思う。
夢想ちう


リエゾン

息子さん達が持つ個性をアートとして社会に繋ぐお母さんお二人とお会いして。
 
つくづく思った。こうして不得意傾向の社会性の部分のつなぎ役になって、個性を生かすチャンスをサポートする人が居てくれる人は、本当に幸せだなぁって。
 
障がい枠に入れられて病院に居たり、社会と隔離されていたりする人達一人一人に、あんなお母さんみたいなリエゾンさんが居てくれたら。世界は個性を謳歌する天才だらけになると思うんだケド。
 
ご家族さん任せだけでは、キャパに違いがあるし負担になる。某大学某教授に、産学協働なんて結局は自己投資しない産に学の能力を使われて産の受益に終わるだけです。これからは本当の創造力がいっぱい詰まった精神病院との「院学協働」のアプローチをお願いしたい。って、アピールしてますが。本当に実現してほしい。
 
その間に。周りに才能を持った人が居たら、リエゾンしてあげて下さいませ。