Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

ダンシングクイーンは歌えなかった

スウェーデンから箕面から香港、台湾、スウェーデン、そして今また日本在住の古いお友達とメッセンジャービデオチャット

外国人向けリロケーションサービスを仕事でしてたつもりがどの人ともお友達になってしまって、24時間体制で生活支援ボランティアになちゃってたその昔。今また来週、一番上の娘ちゃんが通うことになったスイミングスクールの入会説明の通訳することになった。東北に居るんですけど。😄 オンラインでね。

最後に直接会ったのは15年くらい前。香港に遊びに行った。その後3人の子供に恵まれて、今じゃ一番上の子が13歳。

ビデオチャットしながら最初の子供がご近所の産婦人科で生まれた時のことを二人で思い出してた。ご夫君は出張だった。破水したって電話がかかって、私の車で病院に一緒に行った。ひっひふ~って一緒に頑張って、難産で1日かかってやっと生まれた女の子。かわい~。はじめまして~。って顔を近づけたら指を握られて、これがあなたが生まれて最初に聞く歌よ~って言って歌ってあげたのがアバの「ダンシングクイーン」。お母さんが疲れ切った顔で笑ってた。
夜中の2時くらいに私は家に帰ってうたたねをしてたら4時に電話が鳴った。産婦人科の先生からだった。「今すぐ来てください。」何かあったんですか?「とにかく来てあげてください。」駆けつけたら、お友達が赤ちゃんを抱いて泣いてた。看護婦さんも先生も、横に立って泣いてた。まさか。No~!って叫んで赤ちゃんに駆け寄った。先生が「1時間ごとにチェックしていましたが、4時間目のチェックで心臓が止まっていました。」って。先生、身体があったかいんですけど。まだあったかいです。何かできるんじゃないですか?もっと大きい病院に連れて行ったらいいんじゃないですか?って取りすがるように聞いてみたけど、ただ首を横に振られた。
 
やっと会えた命がたったの4時間で召されてしまった。初めての赤ちゃんを授かって最高の幸せだったのに、4時間でお母さんの最低の悲しみに変わってしまった。
 
妊娠して勾玉のようだった最初の検診から大きくなってお腹の中の顔が見えるようになって。一緒にお産して一緒に喜んで。
 
そして、日本語ができない友人夫婦の代わりに市役所に赤ちゃんの出生届と死亡届を同時に提出して埋葬許可をもらって葬儀の手配をした。名前はノラちゃんと名付けられた。小さなお骨は白くてきれいだった。
 
あれから9年の間、カラオケで好きだったダンシングクイーンは歌えなかった。アバを聞くのも嫌だった。
 
彼女は今では3人の子供に恵まれて、忙しく幸せにしてる。二番目の11歳の娘ちゃんがアバのファンだって。仙台に行って、カラオケでノラちゃんに歌ったダンシングクイーンを一緒に歌いたい。指をぎゅっとされた感触が蘇って、きっと歌詞が見えなくなると思うけど。
 
人と関わると悲しいこともあるけど。
悲しいときに一緒にいてあげられた友達や、しんどい時に一緒にいてくれた友達は、本当の宝物。
 
Life goes on. あの時があるから、今の彼女の深い幸せもあるんだと思う。
 
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