勇気を持って書かせていただきます。
エスノセントリズム基盤で地域文化を後進と位置付け、先進国物質的価値観を豊かさだとして教育(学校)というツールで植え付け、対価交換でそれが実現すると教える。そのためのおカネが得られると現状地産地消自給自足できているところに先進国向けの農作物の作付けを勧める。農地管理者以外は安い労働力として使われ、少しの労働対価で食料を賄う必要が生まれ、飢餓と貧困と格差が作られる。(作物の価格は買い手である先進国が一方的に価格を設定し、買い叩かれる。)また、付加価値を付けて輸出しようとすると高い関税が掛けられ現実的に輸出不能で、買い取り商社や受け取り企業側の都合のいい原料などの状態でないと換金はできない。貧困は社会問題化し、国連などの組織を通じて世界から集めた基金で食料や薬品などの物資が届けられ、また商社や大手薬品会社が受益する。持続可能性を失った地域で人口が増加し、更に企業受益の市場が増大する。(元国連職員の友人でさえ、「一人も取り残さず吸い上げるのかと怖い。」と言っています。)
それをコンセンサスとして加速させるように見えるSDGsを、どこまで受益企業が納得するレベルを保ちながら、うまく持続可能な社会造りに貢献できるか。
長い歴史と独自の文化を持ち、人の繋がりと助け合いがあり、地産地消できているコミュニティを「後進」と位置付ける私たち「先進国」の暮らしは本当に豊かなのか?と疑問も感じます。食料だけでなく助け合いまでもが対価交換の対象になっている「先進国」の在り方に内省的な疑問を持つことも、SDGs取り組みに必要なことかもしれないと思います。
●人が幸福追求に必要とする基本
>衣食住足りること
>苦痛がないこと
>将来への不安がないこと
>生まれながらの条件での差別がなく、人権が保障されていること
もし以上が現実的な「先進国」の定義であれば、またそれを支援することがSDGsの取り組みであれば、それを実現する過程で、企業がしっかりと受益できる構造が構築されることを願います。そうすれば、企業が儲かれば儲かるほど、持続可能な社会が増えることになるのではないかと思います。
このような見方、考え方もあることを心の片隅に置いていただき、皆さまの叡智によるご活動を祈念いたしております。