Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

二度目の誕生日から9才になりました。

今日は私の二度目の誕生日です。

今も将来も決して変わらない、繰り返し伝えたい私の気持ちと皆さんへの大切なメッセージ。(毎回編集したり書き足したりしています。長くなって恐縮ですが、それでも発信せずにはいられません。)

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今日は6月28日。9年前の私が一度死んで生まれ変わった、二度目の誕生日。

緑滴る大阪府箕面市から砂漠の国アラブ首長国連邦アブダビに引っ越して3年目。9年前の6月28日。いろんな事がアラビアンにユルいアブダビで、いい加減に取り付けられていた家の重厚な鉄の門扉が私に倒れ掛かって来ました。

頭蓋骨横断骨折で99.9%の人が亡くなるレベルのケガを負いながら何とか生き長らえましたが、世にも珍しい両側顔面神経麻痺、左目失明、左耳難聴という後遺症は残りました。頭から縫い糸が飛び出て顔はどす黒いうっ血で覆われた上に全く動かない、目も口も閉じられなくて寝るときにはテープを貼っていました。表情が全く変わらなくて微笑めない、割れた顎を金属で繋ぎ、バラけた歯並びを矯正枠で固定したお化けでした。自分は一体どうなるのか、夜になると体が震えるほどの不安感に苛まれて眠れない状態が続いていました。

そんな時、ご近所の元遊牧民のモスリムママ(ビッグママ)に言われました。「見えないけど、人間の額にはアラーが決めた寿命が書いてある。あなたはあの日死ぬはずだった。でもあなたがいつでもそしてこれからも人を助けようとしている人間だって解った神様が、命をもう一度戻してくださった。やるべき仕事が残ってるからよ。だから前の身体がどうだったって関係ない。この状態で産まれたんだから、ここから成長したらいい。神様が守ってくれてるから。」と言われ、信仰心がない私ですがとても勇気づけられました。

確かにこの事故は私の身体的能力を一部奪いましたが、大きな気づきを与えてくれました。結果、事故前より幸せな人間になれたと感じています。当時はアブダビで小さなお店を始めようとベルギーに修行に行き、店舗契約をし、準備に忙しい最中でしたが、事業は諦めざるを得ませんでした。それでもこの気持ちは今も変わっていません。以下は、事故から5か月の大晦日に、Twitterとメールで発信したものです。今も将来も決して変わらない、私の気持ちと皆さんへの大切なメッセージです。

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今年はとてつもなく大きく人生が変わった年。半年前の事故で失った身体機能と事故を通して得た一生失わない気付き。事故前の自分に戻る事はできないだろうし戻る必要もない。命があることはもう当り前の事ではない。死ぬ筈だったのに生かされた、2度目の命を生きる私の初めての年越しがやって来る。

困難にある時、人を助けられるのは人しかいない。一番助けが必要な人間の部分が「心」だから。人の心を本当に助けられるのは人しかいない。心が死ななければ人は時間を積み上げて行ける。そしていつか道が見え命を繋いで行ける。私はそれを事故からそして私の困難を支えてくれた友人と家族から学んだ。

人に一番必要な強さは困難に有る時、自分の弱さを認め「助けて。」って言える強さだと思う。完璧な人間なんていない。誰かに助けられそして次は誰かを助けてあげて。助けてって言えない人がいたら個人レベル、行政レベルのお節介の方法考えてあげて。私がしてもらった様に命を繋いであげて。

人と関わらないと悲しい思いも辛い思いも少なくて済む。でも人と関わらないと心が温かくなる幸せも少なくなっちゃう。どっちが幸せかは人によって「判断」は違うかも知れない。でも「事実」は関わり合う方が幸せだって事、確信してる。「悲しみや困難は半分に。幸せは倍に。」

ハンディある人もない人も人と関わる事を恐れないで。どんなマイナスな資質も確かにあなたの一部。でもそれはほんの一部でありあなたという宇宙の全てではない。一部を否定されてもあなたの全人格を否定されたわけではない。また、あなたの一部を否定したという部分だけで否定した人を全否定することもない。

今日より明日はもう少し幸せに。明日よりも明後日はもっと幸せに。小さくても幸せを積み上げて、大きな幸せが皆さんにありますように。砂漠の地アブダビで心からお祈りしています。

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「見てわかる障がいがあるのに、のびのびと幸せである事」で、いろんな人に勇気を分けてあげられると喜んでいました。でも機能は回復しないままそれなりに慣れてきており、以前の私の顔を御存じない方は元々こんな顔のおばさんだと思われるようです。私が常に感じているしゃべり難さや顔の強張りや限られた視野や聴力は外からは解らず、ちょっぴり残念な気持ちではあります。それでも事故から得られた気づきの大きさには、心から感謝をしています。

幸せな人と一緒に居られることは幸せです。幸せな人が多い社会はいい社会であり、いい社会に住む自分も幸せです。究極の自己利益誘導としても、誰かが少しでも幸せにれるように自分の時間と能力を使いたい。りっぱなおばさんのお年頃になったこともありますが、生まれ変わって以前以上に自分がしたいことを行動に移すに躊躇いがなくなりました。恥ずかしいのは自分のモラルと価値観に反した事だけ。人も建築物もアラビアンに緩いアブダビのお蔭で、楽なおばさんに生まれ変わりました。

皆さん、ご存知のような私ですが、日々いろいろな方とお話しすることや経験から学ばせて頂き、皆さんのお陰で楽しく生きています。今後ともどうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m