Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

LGBTに関連して改めて思うこと。

LGBTに関連して改めて思うこと。

・どんな服装や色や嗜好も、他の人の権利を侵害しない限り、個人の自由であるということ。
・同性愛はいつの時代にも存在している自然なことだということ。
・それが差別対象になったのは、宗教が禁忌としたことが大きいのではないかということ。
・宗教が同性愛を禁忌としたのは、宗教人口を増やす妨げになるからではないかということ。(堕胎の否定も同じ理由では。)

こう考えると。性同一性障害という、まずカラダとココロの性の不一致というコンセプトが解らなくなる。
体は生まれた時の凸凹の有りようで男女の区別をされて出生登録される。だけど、ココロの性って?

物理的凸凹で区別できないココロを、男のココロ、女のココロというカテゴリーにはめ込むのは、性バイアス意識以外に何か根拠があるのかな? 

男性が男性を好きになるからココロが女性だと言うなら、男性は女性を好きになるべきだという、同性愛を否定した上での判断では?個人の自由も同性愛も否定して、自然な気持ちや嗜好の在り方を性バイアスで否定する残酷さが、性同一性障害の根拠であり、それこそが生きづらさの障害なんじゃないの?

必要なのは、「あなたはそのままでいいんですよ。誰を好きになろうと、どんな嗜好であろうと、それはあなたの自由であり自然なことなんですよ。」ということを納得してもらうことじゃないのかな。

アメリカ(特に信仰デフォルトのユタ州)では、若者の自殺原因の上位に同性愛があるとCNNの報道。信仰があり、神へのレスペクトと愛を持っていても、教えから否定され、信者からハラスメントを受ける苦しみ。

人口の40%以上が進化論を否定するアメリカ。精神的にも信仰を持つ人と持たない人の間での分断があり、リベラルと保守といった政治的分断にもなっていると思う。そんな中でも、リベラルな人達も性的マイノリティの人たちも家族もが声を上げるから、権利が護られていく。(勢いを増す信仰の自由の行使という名のもとのLGBT差別容認に対する司法の、今後の動きが気になるところ。)

信仰がない日本には、同性愛に関してはまだ寛容で希望が持てるように思う。違いに対する非寛容さを克服すれば。

今日も身の回りから、いろんな個性を尊重して。
インクルーシブに行きましょうね~。(`・ω・´)ゞ

追記: 身体が男性の人が一見して女性の外見になっている場合、極端にいわゆる「オンナっぽい」服装やしぐさや歩き方をしている人がいて、オンナの私が「オンナってこういうもんでしょ。」っていう究極の性バイアス意識を突き付けられている気分になることがある。ご本人の性バイアスが周囲のバイアスとシンコペートしてしまった結果が「性同一性障害」ではないかと思う。

https://news.google.com/articles/CBMiPGh0dHBzOi8vd3d3Lm5pa2tlaS5jb20vYXJ0aWNsZS9ER1hNWk80Njc5MTk1MFIwMEMxOUE3Q0MwMDAwL9IBAA?fbclid=IwAR1gFLuyInbIJx4Qk7IMmco01qpp9138ch7SG6Qsej5amnow8AyhBI9U9Ms&hl=ja&gl=JP&ceid=JP:ja