Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

他害性のある人のインクルーシブの在り方

排他性や他害性や攻撃性のある人のインクルーシブの在り方
 
むずかしいなぁ。インクルーシブでお互いを尊重する社会を希求すればするほど、攻撃性や排他性を持った人に対する攻撃性や排他性が湧きがる。という矛盾に思えて悩ましい衝動。
 
私は骨の髄から、どの人も平等だと思ってる。だから本能的に、相手を区別して対応を変えると言う事に抵抗がある。
 
どの人にも思いやりとレスペクトを持って居たら。どの人にも自分の気持ちや意見を率直に表現したいと思う。相手を上だ下だ、男だ女だ非ヘテロだ、なんだかんだとカテゴリー分けした上で、これやあれを足したり諦めるというのは、相手を平等に一人前と認めてレスペクトしていない気がする。
 
だけど。人に対してレスペクトを持った言動ができず、排他性や他害性や攻撃性を表現する人の対応に悩む。
 
ラブとレスペクトがない人にはない理由があるんだと思う。だけど、排他的ラブなし攻撃を受けながらインクルーシブラブを発し続けることが度重なると、へろへろに疲弊する。
 
自分が壊れてはどうしようもないし、攻撃を受け続けるのはハラスメント容認だとも思う。おかしいことをおかしいと言わないのは、その人をカテゴリーに入れて諦めて一人前としてレスペクトしてないような気がする。(大きな声で話して欲しいとか、誰の尊厳も侵害しない対応はもちろん問題なくても、人を攻撃するという特別要求は個人レベルで容認する必要はないと思う。)
 
脳の働き方だろうが、今問題を抱えている人だろうが、だからと言って人に対するレスペクトを欠いた行動を繰り返したり攻撃性を表現されたら、100歩下がってご健勝をお祈りするしか、ないかなぁ。ご本人だって批判され続けるのはイヤだろうし。カテゴリーに入れて対応するのもレスペクトが無い気がするし。むずかしいなぁ。😞 (仕事で対応する人や、大きな目的に向かってその人が必要な場合は、忍耐の理由があるかもしれないケド。)
 
自分で排他性や攻撃性がコントロールできずに困っている人にはカウンセリング。自分は気にして居なくて周りが困っているだけの時は距離を保って何かあればその都度対応。
 
距離を置きながら、ご当人のニーズを見守る。これが無理のないインクルーシブの在り方かもしれない。
 
アブダビでのあらゆるボランティア活動で感じた、これでもかこれでもかというブラックホールラブ投入徒労感と悩ましさ。どこに居ても生まれるもんだ。
 
というようなことを考えさせてもらった人達が立て続けにいらっしゃって、複雑な思いながら、感謝しています。m(__)m