Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

公共交通機関

サンディエゴのトロリーやバスの緩さ。改めて考えた日本の窮屈さ。同調圧力。人権侵害してなかったら、何しててももうちょっと許してよ。
バスや電車では、携帯電話はマナーモードにしてベビーカーや車椅子は「すみませんすみません」モードになる。どうして?
いろんな社会を構成する人が空間と時間を共有する公共交通機関。誰もが利用する権利がある。でも、最も同調圧力を持ち、差別意識を産む場所にもなっていないか?バスや電車がインクルーシブな場所になったら、社会がインクルーシブに変らないか?
インクルーシブの実現には、ハード(設備)とソフト(ココロ)の整備が必要。どんな身体的機能の違いがある人も当たり前に使えて、どんな行動様式の人も当たり前に一緒にいる場所。(それが嫌なら自家用車や自家用ジェットで移動が妥当)赤ちゃんの泣き声や精神的ハンディのある人のひとり言やティーンエイジャ達の大笑いの声やおばちゃんの世間話の声やよっぱらったおっちゃんの喚き声や、大きなスーツケースの旅行者や車椅子やベビーカーやじじばばの杖や。公共交通機関は社会の構成員の全ての人が使う。状況的に強制的にインクルーシブな場所。だけど、ココロがインクルーシブじゃない。
みんながし~んとしてるんじゃなくて、誰でもが気軽に会話を始められるような場所になったらステキだな。言葉を交わすと情が通う。最高にインクルーシブな場所に変わると思うな。電車やバスでコミュニケーションが産まれれば、日本は案外アッと言う間にインクルーシブな社会に変るかも知れないな。
日本もアブダビみたいに誰とでも気軽に挨拶や会話ができて、人の垣根が低かったらいいのに。私は日本でもアブダビでも垣根ナイですけど。私みたいなおばさんやおじさんが、バスや電車でコミュニケーションの火付け役になっていけないかな?夢想ちう