Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

「競争から共生へ」

ある市会議員候補者さんが
「競争から共生へ」
って。いい言葉だと思う。
 
競争は資本主義下の社会では、生産性を追求する以上は無くすことはできない。だから、学校にも相対評価の競争原理が浸透していて、学びの質も評価されやすく偏重する。(評価対象範囲での生産性が低い人間は社会的弱者になる。)
 
アメリカだと、徹底して割り切ったビジネス競争で人のココロの優しい所の使い道が無い分、仕事以外の時間では人の垣根が低くて優しい気持ちが伝達しやすくて、信仰を持つ人も持たない人も、教会のボランティア活動に参加したりして、優しい気持ちで人と繋がり合って助け合う機会がたくさんある。
 
アブダビだと、困っている人を助けるのは信仰的にも当たり前で、優しさを分かち合う機会なんてどこにでも転がってる。
 
日本だと人の垣根が高くて、自己責任論が蔓延ってて、バックボーンになる信仰も組織もなくて、たっぷりある優しい気持ちを発揮する場所が無くて、それなのに冷酷な職場で痛めつけられて。貝のようにココロ閉ざすことがサバイバルの方法になってないか?閉ざした状態を尊重することばかりが、優しさの在り方になってないか?
 
閉ざしたままの貝の集合体が、共生社会とは言えないんじゃないかな。日本での共生って。どうすれば実現できるのかな?