Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

Ate Josi

2015年6月19日 
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勤続25年をゆうに超すフィリピン人のメイドさん。Ate Josi。語彙の豊富な英語を話し、人格者でもあり知性の人だけど、月給2万5千円程度。ビッグママの子供達を育てその子供たちの子供の面倒も見てる。私が事故った後には毎日マッサージに来てくれた。悪いところがある人に触れるとゲップが出ると、盛大にゲプゲプ言いながらホグしてくれた。今回初めて、お給仕だけでなく一緒に食べた。「一緒に食べたの初めて!」と言うと、ビッグママの長女が「もう家族と一緒だから、一緒に座ったらいいって言ってるの。」
双方に本当にいろいろな事情や損得勘定もあっての長期間雇用だけど、20年以上一緒に居るのはすごい。Josiはもう69歳。とことん優しい人だから、とことんサラーム(平穏)を愛する人だから、状況を受入れてしまって年月が過ぎたと思う。365日休みはないしお金を使う機会はない。ずっと独身で、お給料は妹家族と親に仕送りし続けてきた。お蔭で姪は大学を卒業してドバイで就職。聞くと日本の大卒初任給と同等の給与で、この国で働くフィリピン女子としてはなかなかの待遇。「じゃ、もう故郷に帰って、その子に仕送りしてもらったら?」「それが、まだ私にお小遣いくれって言うんです。仕送りは自分の家にしてます。妹の家は小さいし、帰るところがありません。」いい人過ぎて、身内からも雇用主からも利用されてるように見える。安すぎる給料を惜しみなく仕送りし続けている。
雇用主一家がアラビアンな理由でアラビアンな規模の負債を抱えて給与未払いが長く続いた時期がある。訪問するたびにキッチンで話をして、とうとう「もうフィリピンに帰ったら?」と言ったら「帰るところがありません。それに、こんなイヤな形で長い時間を共にした人達と別れたら、私の人生はムダだったのかと思い、悲しいです。問題が解決するのを待って、信頼関係を取り戻したいです。」何にも言えなくなった。
アラビアンな事情は解っていたけど、雇用主である私の友人に恐る恐るお給料の事を聞いたら「今はこちらも大変だからしょうがない。インシャアッラー、落ち着いたら遡って払う。」う~んう~ん。だったら他の仕事に就かせてあげてよ。子供達に新しい服やカバンや買うお金があったら、お給料に回してよ。「もう家族だから今更よそに行かせられない。新学期には用具を全部新しくするのが習慣だから、古いままだと貧乏人かと苛められる。」罪の意識なし。う~んう~ん。
アラビアンな事情は何とか終息したらしく、不払い問題も解決した。でも、この先どうなるの、Josi。どうするの?
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