Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

ヴィーガンと種の存続

自分のもやもやがすっきりした。
カリフォルニアに留学して元々動物愛護と環境問題に価値観があった娘がヴィーガンになって。私と夫も肉食を止めた。(魚介類だけは継続中。)

ヴィーガンは肉も魚も鶏も、皮製品もダウンも乳製品も摂取しないし利用しない。でも、世界中がヴィーガンになったら、牛や羊や鶏は絶滅するのか?

私は元々幸せな生があって苦しまない死を迎えるのは、自分のことでも許容できる。だから、のびのびとした環境で生活し、怖がらずに苦しまずに死を迎えた命を頂くことは、そんなに悪いことではないと思う。

問題は。おカネ儲けのためだけに劣悪な環境で動くこともできない状態で人工的に妊娠させられ、出産し続け、オスの子供は牛肉になり、子牛に行くはずの母乳は絞られて人間に飲まれる。鶏も同じでケージに羽交い絞め状態で食べ続け、太るだけ太ったら生きながらにして逆さづりで首切断。鶏卵用は同じ状態で卵を産む機械となる。ひよこは別枠で繁殖され、性別判断後、オスのひよこたちはそのままシュレッダーに。(ダウンなんて、死んでしまっては羽毛が抜けなくなるから、生きながらにして引っこ抜かれる。あのビデオを見たら、ダウンは着れなくなる人も多いんじゃないかと思う。だから新しいダウンは買わずにリサイクルショップで調達推奨。)

自分たち家族やコミュニティ単位で自分たちに必要な分を健全な環境で自分たちで育てて賄うのは、私には納得できるんだ。

動物の命を商品を産む道具としてしか扱わず、大量生産して国中、世界中に販売してお金儲けしようとするからおかしくなっちゃうんだ。これって、今の人間社会と同じ。人間が資本の最大化の道具になっちゃってる。

おカネ儲けのため、資本の最大化のために、人間の命も生活も動物も、グローバルな利益追求の道具に成り下がってるのにほとほと嫌気がさしてるんだ。

動物をどう扱うかは、人間自身がどう扱われるかの延長上にあるように思う。人間に虐待された動物を食べる人間が虐待されるのは、当たり前なんだと思う。

やっぱり大事な地産地消
その中で幸せな生と安楽な死があれば、上等で幸せな牛や羊や鶏や、そして人間の、種の存続なんだと思う。🙂