Tama語録

ふつうのおばさんのTamaさんです。考えてる事や感じる事をゆるゆるに、でもココロ込めて書き留めていきますね。長く緩くて寛容な国に住んでいたので、ちょっとユルいです。(事情あり、アイコンは10年程前の写真です。)

リスペクトのパラドックス

他を自己利益のために利用し搾取することに長け、躊躇や罪悪感を感じない、他をリスペクト(尊重)しない資質の人達との共存について、考えてしまう。

他への共感性や社会性を欠く資質を持って産まれた人の知能指数が高く現状の社会の評価基準を満足させる場合は、成功して要職に就き、人を大切にしない会社や組織や治世を司り、合法的に人を幸せにしない社会を創ってるんじゃないか。

知能程度が低く他への共感や社会性を欠く場合、自分の欲求を満たすために自制が効かず、法を犯し、他の人権を侵害し、人の幸せや安全を踏みにじってるんじゃないか。

若い頃、夜行でスキー旅行から帰る早朝の人気のない道を帰宅途中、突然暗がりから現れた男に襲われそうになった。目がすわって、首を締めようと手を伸ばしてきて、「セックスしよう。」って。恐ろしくてどうやっても体が動かなくなって声も出せなかったけど、必死で声を絞り出して、「やめて。私は手ごわいから簡単にはいかへんよ。」って何とか手を振り払った。そしたらなんか言って去って行った。怖さでガクガクガクガク震えが止まらなかった。落ち着いて後から想い出したら、ココロの底からの憎しみが湧いた。人間のクズだ。生きる価値なんかない。誰かあんな男、始末して欲しいって真剣に思った。

でも、そんなクズも誰かの子供で、選ばざるしてそんな自制の効かない腐った脳ミソを持って産まれてしまったのなら、その本人も被害者だ。

本人も望まずして周りをリスペクト(尊重)できない個性をどうリスペクトして共存していけばいいんだろう。他人への共感性と社会性を欠く、合法的に人を不幸にするクズが作った社会で、犯罪を犯すクズをもインクルーシブにしながら、みんなが幸せであることは可能なんだろうか。考えてしまう。

「寛容のパラドックス」というコンセプトがある。
寛容な社会を創りたいなら、非寛容さに対して寛容であってはいけないと。であるなら、互いへのリスペクトがある社会を希求するなら、他をリスペクトできない個性はリスペクトしてはいけないのかもしれない。